フィリピン ルソン島北部山岳地帯 アートプロジェクトツアー

ダンス、舞いのジュン・アマントさん、尺八の福本卓道さん Sax 他の山本公成さん、シタールの南沢、そして強力なスタッフ役、静岡焼津の超元気な琴美さん(タガログ語ペラペーラで柔道家)、記録係の整体師沢田さんと関空で合流し、セブ・パシフィック航空にて、大阪よりマニラに向 かう。
機内の椅子はたおすことが出来ず、狭くてとてもキツかったが、飲食物は全て有料制であり、スチュワーデスはポロシャツ姿でスポーティーな感じであった。
4 時間の直角椅子に座って夜の7時頃マニラ空港に着き、これまた超元気な真理子さん(NPO:コルディリエラ・グリーン・ネット ワーク代表)に車で迎えにきてもらい、そのままルソン島北部山間部の街バギオ(アメリカ統治時代にできた新しい街で、夏の首都)に向かった。クリスマスに 近い時期ゆえ、道中いたる所に電飾があり、とても奇麗だったが、これまた椅子が狭くて、行けども行けどもなかなか着かない、かなり遠い、あちこち痛い。し かしもっと狭いとこで1つ の椅子に2人座りしながら、とても元気におしゃべりしてくれる真理子さんと琴美さんに元気づけられて、なんなく耐えることができ た。さすが静岡は焼津の元柔道部だ。

やっと辿り着いたら夜明け前の5時であった。
緑に囲まれた素敵な木造りのペンション風「CHAYA」さんに泊まり、数時間寝てブランチの後、両替を済ます。
フィリピン大学の公演は、ご尽力いただきながらも、実現できなかったため、その日はバギオ観光となる。
みんなでバザールを回ったり、素敵なカフェでお茶をした。丘の上の聖カテドラル教会がとてもよかった。美しいステンドグラス、南国らしい色使いの建物、 ジーザスの生涯を描いたいろんな絵画があり、いつまでも座っている信者さんたちをみると、とても「心が平安な感じ」になっていきました。やはり宗教は違っても「祈りの集まる場所」というものはとてもいいものです。
その夜はパーティーとなり、その余興は我々のかなり濃い初舞台となり、音楽家のKURI(かっちゃん、みほさん)さんらと共に全員でセッションもして、おおきな手応えを いただいた。さすが全員が百戦錬磨のミュージシャン達だ。
しかしその日の夜は、何故か「犬のせつない鳴き声?」が果てしなく続き、これまた睡眠不足のまま、翌朝山岳地方カダクラン村へと向かうのであった。
アメリカ軍が置いて行ったジープを改造し、荷台を長くしたド派手なバス?(NPOさん所有)に乗り込む。


途中の峠で「ゆで卵」が売られていたのを見た。
なんと!有精卵の中身がかなり育った状態で、ひよこの形になっていく頃を見計らって、湯でたもの、。 Oh my God !、。

こ の日から同行者にスタッフの東京大学院生のアヤカちゃんも同行してくれたこともあってか、尺八の卓道さんらの親父ギャグが炸裂し最高だった。途中のトラッ クバスに乗り換え時に食らった大雨雷雨の中で、それはピークに達していたようだ。逆境に会えば会う程、それを跳ね返すがごときに炸裂するギャグ!、ボケと ツッコミ、
懐メロ、ダジャレの数々、さすがだ。大阪生まれの大阪育ちの大阪人64歳(卓道さん、じつはフォークの全盛期、 伝説の中津川フォークジャンボリーに出演されていた人物。)
あまりの雷雨、豪雨のため、ジュン氏の決断は乗り継ぎ地点のブントックに泊まることに、。ビーフン炒めのような「パンシット」にハマる。

翌朝乗り換えたトラックバスに乗り込み、標高の高いカダクラン村をめざす。
しかし、これがかなりの悪路のなかの悪路、車1台やっと通れる幅のダート道、2010年10月の大型台風の爪痕、地滑り、がけ崩れのあった数えきれない危険地帯を幾度もかろうじて越えて・・・途中峠の近くでとても美しい雲海を下に眺め、ご来光を拝むことになる。
悪路の恐怖とハレワタル山々と雲海、恐ろしさと美しさが共にある、かつて体験したことの無いこの感覚。
所詮後戻りができない、前進あるのみだ、まるでインディージョーンズの映画みたい、だがリアルだ。
もうお導きにおまかせするしか無く、無事を祈りつつも美しい山々、みたことの無い森の木々に感動し、座りながら頭上に設置してある安全用鉄棒を強く握り、 揺れに揺れて、ようやくカダクラン村に着いた。

 

 

 

村長さんら、村人達の歓待を受ける。川の源流に近いこの村に車道ができたのは数年前だとか、。まず外国人がくることは無いそうで、以前かつて一人だけ来た 日本人のお話を聞く。この村に5年間も滞在されて、宣教師で聖書の翻訳をされていた福田さんという方がおられたそうな。こよなくこの村を愛されていたであろうことが伝わってくる。
私達は歓待を受け、できる限りの村の御馳走をふるまっていただいた。大きな里芋、ずいきの炊いたもの、豚肉の血煮込み、鳥肉と野菜の煮物など。とてもおいしいコーヒー。
そう、ここをコーヒーの産地にすることが、焼き畑農業で減った森林を別な形で緑化再生し、地滑りなどの災害をできるだけ減らし、 フェアトレードすることで若者達の離村もなくしていくこと他、NPOが推進しようというところであったが、村ですでに共通の「コーヒーによる緑化再生計画」は始まっていたらしく、 村人の自然や環境への意識の高さがうかがえる。コーヒーは有る程度の日陰で育つゆえ、そこには他の木々が必要になり、それらも植えていくということ。さっ そく現場につれていってもらって、記念にみんなで苗を植えさせていただいた。
フィリピンにはその昔スペイン統治時代に、スペインからきたコーヒーの木があちこちに自生しつつ350年程経っていて、今後それを栽培しようというも の。オーガニックでとてもうまかった。何年かしたら、きっと日本でも飲めるようになるでしょう。

 

 

 

午後は村の高校でジュン氏のレクチャーとワークショップ、通訳はアヤカちゃん。
小学校では琴美さんの特別授業、山本公成さんのアフリカの笛の飛び入り付き、大はしゃぎの子供達、純粋無垢な美しいたくさんの瞳。
校 舎に吊りさげてあった大きな呼び鐘は、大戦下に落ちて来た不発弾を半分に切ったものを使っていた。つながれていないとても落ち着いた目をした犬達も、まる で授業に参加しているかのごとくで、校庭には大人達もひなたぼっこしたり、学校はみんなの場所という感じであった。かつての日本の寺小屋はそうだったのか もしれない。
ここは数年前まで道もなかった山村の奥地の奥地。それにしても、老人から子供まで英語は達者で驚きだ。
ゴミが殆ど無い、無駄な物が無い、テレビもない。必要なものがあるがままに全てキチンと使われている。自然の中で調和した生活の営み方、社会のあり方など、伝統が残されていて、その豊かさはすでに日本では無くなっているように思えてしかたない。

小学校にて「協力して立ち上がる!お手本」に飛び入り

 

 

夕食後はクリスマス会、フィリピンでは11月頃からクリスマスモード。ホームコンサートでは、子供達から大人まで大勢の人達に、 音楽と舞いを観てもらった。能面を使ったジュン氏の舞いと、3人の即興(毎回打ち合わせ全く無し)でのセッション。
ア ンコールは音楽家一人づつで、卓道さんの尺八によるアメージンググレイス、南沢のシタールによるサイレントナイト、山本公成さ んのソプラノサックスによるクリスマスソングで、さらに、アンコールのアンコールは「上を向いて歩こう」尺八、サックス、タンバリン(南沢)でした。あとで村長さんのハーモニカソロ演奏でダンスする大人の男女もいて、盛り上がっていた。
翌朝村を出る時、おみあげに村の伝統的な竹細工など、メンバーの一人一人に一品づついただき、次の村ハパオに向けて出発した。

 

 

1.お土産の小さいカバンをもらう沢田さん 2.工事を手伝うジュン氏

 3.峠でのジュン氏   4.琴美さん、沢田さん、ジュン   

 

 

 

またしても悪路つづきの険しい道を揺れに揺れ、パンクによるタイヤ交換を経て、世界遺産の棚田で有名なバナウエに着き遅い昼食後、ハパオに向かうが、またしてもパンク...。スペアータイヤ無しで、暗い夜の悪路に揺れながらやっと到着、と思いきや、
「ここから道が無いので歩きます。」「荷物は学生達が運んでくれるので、懐中電灯の用意をしてください。」の声、。
え、歩くんや・・・。


50cm 幅くらいしかない棚田のあぜ道を蜿々と歩いた。高い所では5~6mくらいあるかもしれない。それはまるで果てしなくつづく平均台と、狭い階段と、狭い組石 との連続のようで、落ちることは怪我と泥まみれになることが保証されている。怖がると歩けないが、 暗さが幸いしてか、なんとか恐怖心を克服することができた。
これも数日前の雷雨の車の乗り換え時、逆境に耐えて親父ギャグを炸裂した、あの前向き パワーを感じたその経験が無くては、克服することはできなかったかもしれない。それはその後炸裂していく「大丈夫」「大乗仏教やから」の山本公成さんの親 父ギャグとシンクロしていたようだ。還暦過ぎてる笛吹きお二方のパワーには脱帽だ。

 

 

ハ パオのペンション、イフガオ族の上げ床式建築のハットに泊めていただいた。藁葺き屋根や川の音を聞いていると、どこかのリゾート地に来たみたいだ。と思いきや、すでに紙すきによるオブジェ制作、灯籠作りが始まっていて、作家の広田みどりさん(インドネシアに長く住んでおられる アーティスト)稲わらを使った手漉き和紙の志村朝夫さん(フィリピン在住20年の方)が作業をされていた。大きな流れに参加させてもらっている、その実感 が涌いてきた。

「芸術交流と新しい慰霊」

~平和と環境のためのアートプロジェクト~

世界遺産となった棚田、木彫りの工芸品を作るための森林伐採に歯止めをかけるべく、いままで捨てていた稲わらの一部を使った「手すき和紙」を普及し、イフガオ部族の伝統舞踊イーグルダンスにあるように、環境変化によっていなくなったイーグルに想いをはせて、この日は子供達と「ワシの絵を描いた凧を上げよ う」ということが一つ。
 

 


蒟蒻と石灰を使った防水加工と泊めていただいた宿のレストラン入り口

 

 

イフガオ州は太平洋戦争末期に日本軍が立てこもり、山下将軍が降伏するまで旧日本兵や在留日本人が亡くなった場所として知られていて、今回は「遺骨収集問 題がある中、大戦で亡くなった全ての人に、心からの慰霊の気持ちを比日一緒に芸術を通して表現したい。」というNPO:コルディ リエラ・グリーン・ネットワーク代表:反町真理子さんの思いから、流れができた。
僕としては友人のシタール奏者J氏からの紹介もあり、この大アートプロジェクトに奇跡的に参加させていただけたのだ。
これは「芸術交流と新しい慰霊」というとても特別な機会であることは間違いない。

少し不安になったのは、日本から行きの機内でジュン氏がつぶやいた「反日感情が出ないこと祈る」の一言。
そして共演予定者であり、2年前に、ここハパオの学校で演奏していた日本人音楽家KURIさん達のライブ中に起きた「校舎に向けての投石事件」。
いまだ発見さ れていない山崎○○の埋蔵品探しの日本人達だと、一方的に間違えられたそうで、帰れコールを浴びての演奏だったらしい。
また学校に挨拶、昼食会に招かれた山本公成さんは、白昼のその道中、前の戦争体験があるだろう!と酔っぱらいにしつこくからまれ た話も聞く。
白髭だったからか、懸命に対処されたそうな。
もちろんフィリピンだから村人でもどこかにライフルは持っているし。

さらに探せばいろいろ不安も山のようにあるが、現実は、「関わった全員がやるべきことを懸命にやっている。」。
山本公成さんの「だ~いじょう~ぶっきょう~。」にありがたくうなずけたけど、参加者全員のありがたい超ポジティブ志向は直感的に汲み取ることができ、おかげさまでリラックスできた。


だいたい僕の弾くシタールの音が鎮魂や慰霊にふさわしいかどうかとか、考えたりはしない。奇跡に導いていただいたこの機会に、失礼が無いように祈らせていただくことだけがやるべきことだ。
もともと音楽は自分が弾くのではなく、自分が表現者では無くなって、他の力によって自分の肉体が動き、楽器から自動的に音が出て行くこと、究極的にはそのことを目指していくべき音楽と思っているので、つまり「なにも考えない瞬間の連続」を行うための自身のアンテナ操作や、集中力を高めるということ。それに向けた媒体と成る可く、精神の整えこそが誠意ではないだろうか?、と。
しかし、ただ「なにも考えていない」ことに陥ってはいけない、それは単に「アホ」ということになるだろうから、。
ま た共演者は百戦錬磨のミュージシャンの方々ゆえ、ありがたいヴァイブレーションはもちろん、どこからか理由の無い、無条件的安心感が常にあった。 それは「大いなる奇跡のお導き」ということを、山本公成さんと一緒に確認できたし、福本卓道さんともきっと無言のままに確認できたと思う。

会場の棚田に和紙と地元の天然素材でできたオブジェ、薪能のような大灯り、1000個の灯籠全てに火がともされ、棚田の裏にジュン氏が衣装を来てスタンバイ、さて本番!という時に、なんと!「停電だ」村中の灯りが消えた、。もちろん音響機器も止まった、。すぐに発電機を運んで来てもらうようにと、PAも担 当していた公成さんが頼んだが、なかなか着かない。
しばらくして電気無しでやることにし、みんなで生音で演奏した。それは30分程だったそうだが、すでに記憶には無かった。
後半ついに電気が、発電機が到着したのだ。ありがとう琴美ちゃん、さすが元柔道部!。
フィリピン人2人のミュージシャン(竹琴、口琴、ヴォイス他)、KURIのお二方、尺八の福本卓道さん Sax他の山本公成さん、シタールの南沢のセッション が音響付きで、棚田に照明も点いてジュン氏が舞っていた。彼は最後にオブジェに松明で火をつけて燃やして、和紙を土に戻した。松明を棚田の泥で消して、終演した。もうなにがなんだか記憶がない。ということはそれが全うできたのではないか、ということが喜びとなった。


連日日暮れにはいつも雨が降るこの地、左右空を眺めると、上流方向と下流方向にはドス黒い雲が立ちこみ、会場の上だけに満月に近い月が出ていた。
もう全てが、大いなる目には見えない力の、お導きをいただいたとしか思えない。
無事終演後、宿に帰り、9日間の断食(水分はとる)をしていたジュン氏も、やっと固形物を食した。

 

 

 

 


棚田に1008羽の白 い鳥をみんなで吊るす


 

 

翌日はハパオの学校で、学生達による演劇、パフォーマンス。
最後にKURIのお二方の演奏2曲「豊穣」「太陽讃歌」の後、
山本公成、福本卓道、南沢靖浩、計5人の音とともに、ジュン氏の舞いで終演。
(この日の前日に山本公成さんにからんだ酔っぱらいのおじさんは、なんと、他のヤバそうな酔っぱらいをなだめて連れて帰ってくれて、 助けてくれたそうであった、。きっと公成さんが愛情をもって対応されたことが、よかったに違いない。)


学生達による演劇、パフォーマンス




翌日マニラへ16時間かけて卓道さんと懐メロ歌いながら移動するも、
タクシーの運転手さんは田舎の人で・・・。
マニラ市内で道に迷いに迷い、結局ジュン氏のナビで、やっとホテルの近くに着いたが、大きな交差点付近にて、なんと!故障、エンストして止まっているところ、
あげくの果てにポリスがやってきて・・・。どうなるかと思いきや、珍しくもパトカーで1k程送ってもらうことになる。
荷物が多すぎたので、山本公成さんと広田みどりさんがパトカーに乗り、他5人は徒歩でようやくチェックイン、
中華料理で打ち上げして帰り道、路上で若い女性の卑猥な誘惑を拒否してホテルに帰った。
翌朝マニラのジャパンファンデーションへ挨拶同行し、マニラから関空へ。
 感動のツアーでした。
(読んでいただいて、ありがとうございます。)